
どーも!ポジティブロガー小太りです。
最近つくづく思うことがあります。
「他人を100%理解するのは無理」
「絆・つながり」
が声高に叫ばれる世の中。
人との繋がりは「孤立」を防ぐ。
「絆」のメリットも分かります。
でもそれって
「他者と完全にわかりあえる」
ことを目標としていないでしょうか?
結論:他者を完全に理解することは不可能
他人を頭の先からつま先まで
100%理解することは不可能です。
「育った環境・価値観」が
自分と全く同じ人などいません。
”自分と同じように”考え、行動する他者はいない。
「他者とは分かり合えない」ことを前提として
つながりを作るべきです。
「分かりあえる」と思うから争う
「分かりあえる」ことを前提にすると
必ず争いが生まれます。
「一番の親友」を想像してください。
自分との価値観が似ており、意見も合う。
「こいつとは100%分かりあえる」と確信。
しかし、ささいなことで意見が食い違う。
ここで終われば「すれ違い」のレベルです。
しかし、「分かりあえるまで」自分の意見を主張する。
「すれ違い」から「口論」まで発展します。
そもそも意見が違うのだから
無駄な争いですよね。
割り切れば「無駄な」争いは生まれない
お互いに「分かりあえない」
と思っていれば、争いは生まれません。
すれ違いが生まれた段階で
「あ、これ以上は無駄だ」と感じます。
意見の食い違うまま
主張し合っても不毛なだけです。
「分かりあえない」からこそ大事にできる
「他者と分かりあえない」と思うと
寂しくて、冷たい感じがしますね。
「分かりあえないなら
”他者”とどうやってつながるの?」
と感じる人もいらっしゃるでしょう。
「分かりあえない」前提があるからこそ
「他者」を大事にできるんです。
「分かりあえない」ことを前提にすると
「共通項」に着目できるようになります。

お互いの”同じ”を大切にできる。
どんな些細なことでもいいんです。
「好きな音楽が一緒」
「好きな服のブランドが同じ」
「パンよりご飯が好き」
小さい共通項に着目すれば
誰とだって繋がれます。
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